★ さとりずむ ★

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苦しみを乗り越え、今を切に生きよ 。『ぼくと仏教』

よいこのみなさんハロにちわ!さとる(@)です。

 

※今回のお話はとても長く、かつ個人的な内容となっております。それでもお付き合い頂けるならば幸いです。


ブログ開設より約1ヶ月が経過しましたが、ぼくがこのブログで「本当にやりたかったこと」を書きます。

それが、「仏教」

宗教という、ある種誤解を受けてしまいそうなカテゴリーである以上、どのように切り込んでいいか迷っていました。
でも書かないことには進まないし、ぼくらしく「あるがままに」書いてみようかな、と思います。

今回は「ぼくと仏教との出会い」のお話。

たぶんモックンのせい。

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ぼくと仏教との出会いは、まだ春を思う中学生のころ。
たまたまテレビでやっていた映画「ファンシイダンス」を見たことに始まる。
同じ周防正行監督&本木雅弘主演の映画「シコふんじゃった。」が大好きだったことから、最初はその流れで見たんだと思います。

お寺で修行する雲水たちをコミカルに描いたこの映画は、

「お坊さんってストイックだったんちゃうんか・・・!?」

という、中二病真っ只中のぼくに衝撃的なまでのボーズ・インパクトを与えました。
うむ。我ながら上手いこと言った感はある。

実際はこんなことないんでしょうけど、火のないところに煙は・・・とも申しますからね。多少はあるのでしょう(笑)
しかし、終盤で描かれる法戦式(ほっせんしき)に挑むモックンはとてもカッコよく、このギャップにシビれたものです。

ぼくが「仏教」に興味をもったベースの部分は、モックンが作ったのだと思っています。
今でもモックン見るとカッコええなぁって思います(・∀・)キュンキュン!

近親者の死

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宗教として「仏教」を意識したのは、空から恐怖の大王が降ってくる予定だった1999年の終わりに、母方の祖母が亡くなったときのことです。
母方の祖父はぼくが生まれたときにはもう故人だったので、ぼくにとっては初めての近親者の死でした。

母の実家は曹洞宗の檀家で、お坊さんが5~6人来て葬儀をしてくださったんですけど、もうね、読経の圧がすごいわ、太鼓やドラみたいなの鳴らすわ、とにかくすごい葬儀だったんです。

 

不謹慎ながらも、

 

「あ、やべぇ。坊さんってカッコいい」

 

と思ってしまいました。


奇しくも、映画「ファンシイダンス」のモデルになってるのも曹洞宗なので、今思えば不思議なご縁とも言えます。

その後、2003年に父方の祖父が、2013年に父方の祖母が亡くなりました。

近親者の旅立ちを見送るたびに、いずれ来る「死」について考えるようになり、「宗教」とは何かを考え始めるようになります。

「仏教のすべて」で分かった気になる

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父方の祖父が亡くなったとき、ぼくは初めて仏教を勉強してみようと思いました。
いつの日かぼくが死んだとき、「仏教式で葬儀をしてもらうことになるんだろうけど、お経の意味も教義もまったく知らないのに、そんなん聞いてありがたみあるんか?」と思ったからです。

で、そのとき買ったのが「面白いほどよくわかる仏教のすべて」(日本文芸社刊)という本。

日本仏教の源流である大乗仏教(だいじょうぶっきょう)の視点で書かれた本なので、これ1冊で「すべて」と銘打ってしまうのはいささか乱暴ですが、仏教の基本的な教義や、各宗派の説明や葬儀の仕方などにも言及されているので、日本仏教のことを知りたければ入門用として良書だと言えます。

これは今だから分かることだけど、当時は本当に「すべて」だと思ってしまい、これ以上勉強はしませんでしたね。そういう意味では悪い本です!(笑)

いつも元気なあの人も、みんな何か悩んでる

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ぼくには親に無理を言ってデザイン系の専門学校へ行かせてもらい、デザイン業界に入るもののわずか3年でリタイアした過去があります。

デザインの仕事は薄給&毎日終電か泊まり込みといった感じでした。
それに疲れてしまって、心が折れてしまったのですね。


その後実家に戻り、現在まで続く製造業の仕事を始めることになるのですが、「いつかデザイン業界に戻りたい」という思いは常にありました。
ぼくの夢でもありましたし、親にお金を出してもらって学校まで行ったのに、夢半ばで諦めてしまったのがずっと引っかかっていたのです。
 

それがぼくにとっての「苦しみ」の始まり、だったのかもしれません。

「こんなのやりたかった仕事じゃない」と、悶々と考え続ける日々。
お金のために仕方なくやってるんだ、いつか必ず見返してやるってずっと思ってました。


長男が産まれたとき、その苦しみがピークに達したと思います。

 

「子どもが生まれた以上は転職するわけにもいかない」ので、デザイン業界に戻る夢は閉ざされたように感じました。

また、中途で入った製造業ではミスばかりでなんの役にも立たない無能社員っぷり。

 

親になって初めて自分の能力のなさを痛感し、ぼくは親として「この子にたくさんの選択肢を与えることが出来るのだろうか」と不安は増すばかりで、本当に親になって良かったのかと苦しくて仕方ない時期がありました。

無理を言って勉強させてもらった末に入ったデザイン業界で、死ぬまで食らいついていればよかったという思いもずっとありました。役に立たないまま製造業にいるよりは、ずいぶんマシに思えましたから。

 

そんなことを考えていたら、いつしか「死んだら楽になるのかなぁ」という思いが頭をよぎるようになり、「どうせいつか死ぬのに、生きている意味なんてあるのか?」ということを延々と考えるようになりました。

まぁ実際に死ぬ勇気なんて、ぼくにはないんですけれど。
でも実際、子どもの寝顔を見て何度も泣きそうになりましたから、心が弱っていたことは事実だと思います。

 

その時に、仏教のことをもっと勉強してみようと思いました。

苦しいからこそ人は宗教にすがるのですから、そこに何か生きるヒントがあると考えたのです。

結果・・・なんかしらんけどめっちゃハマってしまって、現在に至るのであります。

さとる、何かを悟る。ダジャレか!

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そしてたどり着いたのが、原始仏教。
最古の経典群で、仏教の開祖・お釈迦さま=ブッダ本人のことばに比較的近いとされるものです。

苦しみを理解し、観察し、乗り越えていく。

すべての苦しみには必ず原因があり、その原因を一つ一つ無くしていき、煩悩の火がすべて消えた境地=涅槃(ねはん)を目指すのが仏教本来の教えです。

これを知ったとき、「こ、これがぼくの求めていた思想や!」と感じました。

2500年も前にこんなこと考えてたヤツがいるなんて!

悔しいけどブッダは正しかった・・・ッ!!

 
「ぼくの苦しみとは一体なんだろう?」と考えたとき、それは過去においての捨てきれない後悔と、未来に対する漠然とした不安だとわかりました。

 

そう、つまりぼくは「今を生きて」いなかったのです。

 

そのことに気づかされた、ブッダのことばを引用します。

過去を追わざれ。
未来を願わざれ。
およそ過ぎ去ったものは、すでに捨てられたのである。
また未来はまだ到達していない。
そうしてただ現在のことがらを、各々の処においてよく観察し、揺ぐことなく、また動ずることなかれ。
誰が明日に死のあるのを知ろう。ただ今日まさに為すべきことを熱心になせ。

 

中村元「原始仏典」(ちくま学芸文庫)より

これは仏教最古の経典の一つ、「マッジマニカーヤ」(中部経典)に収められているブッダのことばです。

中村先生の訳も素晴らしい。家訓にしたい。マジで。

(妻を説得したい)

 
この言葉を知ったところで問題が解決したわけじゃないんだけど、「過去はもう過ぎ去った」し、「未来はまだ来てない」のだから、余計なことは考えずに、「今、ここにある」一瞬一瞬を大切に生きていこうかな、と思いましたね。
※これは最近流行りの「マインドフルネス」の考え方にも通ずるものですね。仏教思想がベースなので、似ていて当然なんですが(笑)

甘露の門は開かれたり。耳ある者は聞け

ぼくの敬愛する宮崎哲弥氏が、仏教学者の佐々木閑氏との対談本「ごまかさない仏教: 仏・法・僧から問い直す (新潮選書)」にて、「仏教と出会わなければ自殺していた」と仰っていて、対する佐々木氏も「僕も同じ。仏教は心の病院なんですよ」と、その言葉に思わず膝を打ってしまいました。

ブッダも「甘露の門は開かれたり。耳ある者は聞け」と言っているように、不要ならば聞かなくていいし、必要ならば聞きなさいというのが仏教のスタンス。

※この場合の「耳ある者」とは、「聞く気のある者」という意味です。


また、仏教はその教義の内容から、しばしば虚無主義のように誤解されますが、ブッダは別に悲観論者でも、断滅論者でもありませんでした。

苦しみの原因は何かを見極め、観察し、それを乗り越えて「生き抜け」と説いたのです。

勘違いしてはならないのは、仏教は「生きる勇気」を与えてくれたり、「幸せになるため」の宗教ではないということ。結果的にそうなるかもしれないけど、仏教の教義はあくまでも「個人の苦」を解消していくためのプロセスなのです。

もし、あなたが「人生が苦しい」と思っているのなら、一度仏教を勉強してみるのも良いかと思います。

最後に

デザイン業界に戻る夢を以前は何度も見ていました。本当に戻りたかったからなんだと思います。

でもある日、当時の上司が夢に現れて、ぼくにこう言いました。
「おまえはもう諦めろ」

文字にするとキツいんだけど、あの人の性格を考えるとたぶんこれは愛情の言葉なんです。上司はすでに他界された後だったので、向こうからわざわざメッセージをくれたんだな、と思っています。

「諦める」って言うと、「断念する」というネガティブな意味合いで使ってる方が多いと思うんですが、本来は「真理を明らかにする」という意味の仏教語なんです。

ぼく自身、年齢的にも今さら業界には戻れないって心のどこかで思ってましたし、それを見透かされた上で「もう諦めて(その真理を明らかにして)、今を生きろよおまえ!」って激励してくれたんじゃないかなーって思ってます。

それ以来ぱったりとデザイン業界に戻る夢は見ないようになりました。

不思議なものです。
何かしら、そういった見えない世界とのつながりってあるのかな。
あるとしたら、「人と人との想い」がつないでいるんだろうね。

そう感じざるを得ませんッ・・・!

と、いうわけで「ぼくと仏教の出会い」についてはこの辺でおしまい。
今後はぼちぼちと仏教のことも書いていきたいと思っているので、参考にしてもらえれば幸いです。

それではまたーーー!!

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