★ さとりずむ ★

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体罰教師の話。

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おっす!さとる(@satorism0321)でっす!

皆さんは「体罰」を受けたことがありますでしょうか。

ぼくは・・・ありまァす!!

というか、ぼくのような昭和世代の悪ガキは先生によく殴られたものでして、取り立てて騒ぐようなものでもなかったんですけどね。
昨今はやれ体罰だ行き過ぎた指導だなどと、ちょっと過剰に騒ぎすぎじゃないんだろうか、と思う次第です。

今回はぼくが受けた体罰の中でも、特に記憶に残っている小学校2年生の頃のことを書いてみようかと思います。

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石川先生は怒ると怖いんだお

ぼくが小学2年生の頃の担任は、石川という女の先生でした。

女教師・・・ッ!

というとなんかエロく聞こえるんだけど、実際は50代のおばさまでありました。
顔は故・森光子さんに少しだけ似ていたのを覚えております。何せ30年以上も前の話なので、この辺りの記憶は色あせております。

石川先生は肝っ玉母ちゃんのような感じで、厳しい口調ではあったものの普段はとても優しい人でした。

しかし、怒ると猛烈に怖い先生でもあったのです(小2のガキにとっては)。

同級生とケンカ

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※古典的表現でお送りしています。

とかく小学生の男子というものは、同級生とよくケンカするものでございます。

80年代後半、まだビーバップハイスクールなどを見た高学年たちがイキってる時代で、ぼくら低学年もその影響を受けて不良に憧れるガキもチラホラいた時代です。

そんなある日、ぼくは同級生の白木君とケンカしました。
今となっては何が原因でケンカしたのかはまったく覚えていないんだけど、白木君はぼくの顔を、ぼくは白木君の腹を殴ったことだけはよく覚えております。

このことについて同級生がチクったのか、はたまた先生自身が見ていたのかはわからないけれど、とにかくぼくと白木君は石川先生に怒られることになったのであります。

顔と腹は殴るな

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石川「おまえら何してた?」

ぼくと白木君「あ・・・」

石川「何してた??」

ぼくと白木君「あ・・・あ・・・」(チビる寸前

白木君がぼくの顔を、ぼくが白木君の腹を、それぞれ殴ったことを先生に正直に言うと、ぼくは先生にお腹をぽんぽんとされ、

「いいか、さとる。お腹は大事なものがたくさん詰まっているところ。ここを叩いては絶対にダメだ」

と諭されたのでありました。

尻だ。おまえら尻を出せ

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「どうしても叩きたいなら、お尻を叩くといい。さぁ、お尻を出しなさい」

「え?(=ω=;」

「お尻を出せ」

「あ・・・あ・・・」(チビる寸前

バ シ ー ン ッ !!

石川先生は可愛い生徒のお尻を叩いたのだ!まさに体罰教師である!!

「いいかい?これが叩かれた痛みだ」
「友達に痛い思いをさせたくないなら、叩いてはダメ」


先生はそんなことを仰っていたと記憶している。たぶん。

実際に叩かれることによって、叩かれる痛みを知るのである。

あなたは親の立場から、この時の石川先生を「体罰教師だ!」と非難できるだろうか。
愛情を持って育てるが故、時には手をあげてでも理解させなければならない時もあるのです。それこそが教育だとぼくは思っています。

殴られたことがない人間に、殴られた痛みなど分かりはしません。
人間とは、つまりそういう生き物なのです。

先生に怒られることは「悪」か

親が子供を溺愛するがあまりモンスター化し、PTAとタッグを組んで先生の力を弱めてしまった昨今では考えられませんが、ぼくの時代は先生といえばとても偉い存在でした。

先生に怒られただなんて親にバレでもしたら、その何倍もひどく怒られたものです。

そんなことになったら困るので、チクるだなんて恥ずかしい行為は考えたこともありません。
ぼくは悪ガキだったので何度も先生に怒られて叩かれたりもしたが、先生を体罰だなんて訴えることなど微塵も思いませんでしたね。

それは何故かといえば、怒られた後に「悪いことをした」ときっちり先生が指導してくれたからです。

ここが重要です。体罰と教育を分かつポイントです。
元ラグビー日本代表である故・平尾誠二氏が、「叱ることが大事なのではなく、叱ったあとのフォローこそが大事なのだ」と言っていたのを思い出します。

教育とは勉強を教えることだけでなく、そうやって心を「育む」ことも大切だとぼくは思っております。

昨今の教育はどうか。生徒の心を育んでいるだろうか?

たくさん教え、いい点を取らせることだけが先生のステータスになってはいないか?
我が子がいい高校やいい大学に進学できれば、親はそれで満足かもしれません。
しかし、子供の心が成長していないようでは「育む」部分が疎かになっているのではないでしょうか。

教育者諸兄は子供のことを想うのならば、なまくらな中途半端さではなく、愛情を持ってしっかり叱って欲しいと思います。

真剣な想いは必ず伝わるから大丈夫です。

体罰を考える

以上のことから、「体罰はアリかナシか?」という議論にはぼくは条件付で肯定派であります。
石川先生の教育論をベースに、「悪いことだと言っても聞かない子供は、殴ってでも教えよ・止めよ」というのがぼくの考えです。

もちろん、体罰といえど限度はあるし、「暴力を振るわれるから悪いことはやめておこう」という形で気持ちを押さえ付けるのは正しい教育とは言えません。

どんな綺麗ごとを言っても結局は暴力行為。本来は用いるべきではないのです。
しかし、人間は痛みを知ることで初めて相手の痛みが分かるという、逆説的なジレンマも抱えている難しい存在でもあります。

体罰とは、およそ「アリかナシか」の二元論で語られるべきものではないと、ぼくは考えます。
石川先生が行ったことは表面的には暴力行為とみなされるかもしれないけど、その裏には優しさと愛情に満ちていた、と今でもぼくは感じています。

最後に

石川先生がぼくに与えた「人の痛みを分からせること」という感覚は、今もぼくの育児論に息づいています。

ぼくの息子の幼稚園で運動会があったとき、息子は同級生の男の子に叩かれていたのだけれど、息子は決してやり返そうとしませんでした。
ぼくがかつて、友達を叩いた息子を激しく怒ったことがあり、石川先生と同じようにお尻を叩き、「叩いたら痛いんだよ」と教えたことが効いているのかもしれません。

あれから30年以上。
当時以来、石川先生にはお会いしたことはないが、まだ存命ならばお元気で毎日を過ごしておられるよう切に祈っております。

あなたの教育は、まだぼくの中で生き続けています。ありがとう。


それでは今回はこの辺でおしまい!それではまったねー!!